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ワクスタ

ワクスタとは

「失敗しても、頑張り続ける」。周囲と助け合いながらチャレンジを積み重ねる人生を選んだ眼科医のはなし。

Category | 大学教授・教師・研究職

2018.2.5

猪俣武範さん。順天堂大学医学部医学科眼科学教室助教、順天堂大学医学部医学科戦略的手術室改善マネージメント講座助教、順天堂医院病院機能管理室併任、一般社団法人IoMT学会代表理事、一般社団法人JGMS代表理事
2006年順天堂大学医学部医学科卒業。2008年東京大学附属東大病院初期臨床研修修了。2012年順天堂大学大学院眼科学で医学博士号ならびに眼科専門医取得。2012年9月から2015年10月までハーバード大学医学部眼科スケペンス眼研究所へ留学。留学中にはボストン大学経営学部Questrom School of BusinessでMBAを同時に取得。2015年11月より現職。 2016年2月に『ハーバード×MBA×医師 目標を次々に達成する人の最強の勉強法』出版。Officialホームページ: http://inomata-official.com

原点は「人に感謝される仕事がしたい」という想い。

なぜ医学部への進学を決めたのでしょうか?

僕は小さい頃から近視で、眼科にお世話になることが多くて。先生がとても優しくしてくれたんですね。その時の僕は「人に感謝される仕事」として医師になる事が一番の近道なのではないかと思い、次第に医師を志すようになりました。

 

幼い頃からの夢だったのですね!その夢はずっと変わらなかったんでしょうか?

そうですね。僕の高校に「医学部コース」が設置されていて、当初はそのコースに入る予定で準備をしていました。ただ…医学部コースは授業のコマ数が他のコースに比べ多い。そうなると、所属していたテニス部の活動が出来なくなると気付いたんです。それで、両立できるコースへという事で、「東大コース」に進学する事を決め、テニス部と勉強を両立しながら医学部合格を目指し、無事合格しました。

 

「チームへの貢献」をとことん考えた学生時代。

「これぞ医学部」といったような、面白いと感じた授業はありましたか?

僕が面白いと感じたのは、ヘルパーT細胞の研究をされていた奥村康教授の「免疫」の授業です。ご自身のバイオグラフィーに沿って話す、という飽きのこない授業展開で、細胞を発見した経緯を面白おかしく話してくださいました。

科学者が「どうやって調べて・ふとした時に発見して・どのように世の中に送り出していったか」というプロセスにすごく感動したのを覚えています。

「医学部」というと、実習のイメージがあります。

三人一組または四人一組でチームを組んで実習する事が多かったので、チーム実習の進行方法や、自分がどのような役割を果たせばいいのかを学びました。医師になってからも「チーム医療」の大切さを身に染みて感じています。

高校では学業より優先したテニス。大学ではさすがにあきらめたのですか?

いえ、大学では、体育会テニス部と、医学部所属のテニス部の両方に入り、テニスを続けました。

 

部活では、年次の違う人たちとのコミュニケーションを学べ、非常に良い経験でした。1年生から6年生までの全ての立場を経験できた。平社員から、管理職、そして会長職までみたいな(笑)。部活は4年生が最高学年で部長や主務といった役職を務めます。5年生、6年生になると、役職から離れ、組織を俯瞰して見る事が出来る。

 

部活は社会の縮図だな、と思います。立場が異なる人達が集まって、組織をどのように良くしていくかを考え行動している。
もう一つ、部活をやっていたからこそ、学んだと思うことは、社会にどのように貢献していくかということです。

 

テニスは個人技なので、団体戦に出ることのできる人数が野球やサッカーに比べ少ないんですよ。

 

けれど、レギュラーにはなれなくても最後まで部活を続けている人がいて。その人たちは試合には出れないけれど、どうチームに貢献していくか考えている。

 

 

そういう人たちがいて社会は成り立っている。そういう仲間達の姿を見て学んだ事も沢山ありました。

部活で多くの学びを得たのですが、後悔が一つあるとすれば、「もっと死ぬ気でやれば良かった」。遊んだり、寄り道しちゃいましたから。

 

だから、社会人になったらゼロスタートだから、切り替えて、一つの分野でトップになるために「死ぬ気で頑張る」と決めました。

 

社会に出てから海外へ。トップになる為に必要だった「もがくこと」。

猪俣さんは大学卒業後、MBAを取得されています。

医師も診察するだけではなく、病院のマネジメントも医師の視点から行う必要があると考えています。

 

ですので、マネジメントを学べるMBAを取得するため、研究でアメリカに留学する際に同時にMBAに通える道はないかと探しました。

 

基本は週末に通い、必要に応じて一週間、有給休暇を使って通いました。

この海外生活で一番印象に残っていることは何ですか?

僕は英語が得意ではありませんでした。発言したことが伝わらない、僕が発言している間に他の人が手を挙げる、といった状態はしょっちゅうありました。答えないと点数にはならないので頑張って答えていたんですが。僕は「クラスで一番できない存在」だったんですね。

 

ですが、この立場を経験できたというのはすごく良かったと思います。そうなった人がどのように感じているかも理解できるようになりましたし、周りに助けてもらいながら自分の成功をどう作り上げていくかをひたすら学びました。

 

社会に出た後に、「勉強に没頭する」時間を確保できたのは本当に良かったです。「これからどうしていこう」といった自分の今後について考える時間もできましたから。

 

「できない」と自信を喪失してしまいそうですが、どのようにこの状況を乗り越えたのでしょうか?

投げ出さなかったのは、「部活を6年間続けたんだ」という思いでした。引退前の最後の団体戦で優勝できたんです。「最後まで頑張れば結果はついてくる」という経験が成功体験として心に残っていたから、この時も頑張れました。

 

小さな成功体験を積み重ねると、その経験が活きて、辛い時も頑張れる。人生山あり谷ありで、自分のせいで負けた試合もあれば、勝てた試合もある。そういうものは社会に出てからはなかなか学べないので、失敗しても頑張り続けることを学生時代に学べたのはすごく良かったなと思いました。

失敗しても世界が終わるわけじゃない、だから、挑戦しよう。

お話を聞いて、猪俣さんはまさに「挑戦」の人生を送られていると感じました。

「チャレンジング」が僕の好きな言葉です。MBA取得のために必死に勉強していた日々の会話が、この言葉を好きになったきっかけです。

 

例えば、学校で宿題が出たとしますよね。日本では、「この宿題、辛いよね」となるところが、向こうでは、「これはチャレンジングだよね」や「トライしようぜ」とか、ポジティブに言うんです。

 

ポジティブに言うと達成できそうな気がしますよね?何事も表現次第で、物の捉え方が変わるなと思いました。

 

ネガティブな考えに引っ張られてしまうことってとても多いと思うんです。ですが、「やめておいた方が良いよ」という人に、人って寄り付かないですよね。だから、僕は自分にも周囲の人にもポジティブでいようと決めています。人の意見にも「いいね!やってみようよ」いうスタンスでいるようにしています。

 

猪俣さんのように「挑戦」するために、明日から取り組める行動はありますか?

「この人の話が聞きたい!」と思ったら自分から連絡をとってみることですね。

 

留学する前に、慶應義塾大学の眼科の教授が同じ大学に留学経験があったので、話を聞きたいなと思い、面識がないながらもアポイントを取り話を聞きに行ったんですね。そしたら様々な方を紹介してくださって、世界が広がった経験があります。

 

失敗しても世界が終わるわけではないし、「当たって砕けろ」という感じで、怖がらずにどんどん前に進んでいくのが良いんじゃないかなと思います。

最後に、「挑戦」の目前にある学生の皆さんに、メッセージをお願いします!

どんな道であっても挑戦する姿勢を忘れないこと、そして一度目標を決めたらその目標に向かって邁進していくこと、の二つを大切にしてほしいなと思います。

 

「大志を抱け」という言葉があります。達成可能なものだけでなく、大きな目標も掲げてみる。小さなチャレンジを積み重ねて自信に変えて、その自信で大きな夢も叶えていってくれたらなと思います。

阿久根 美咲

編集長見習い
阿久根 美咲

社会人一年生。初めての営業や地方出張生活の傍ら、ライターをしている。ミュージカルが何より大好き!

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