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ワクスタ

ワクスタとは

「迷ったら、より楽しそうな道を選んで生きてきた」。採用コンサル、進路指導をしてきた彼が愛媛のみかん農家へと至った道のりとは。

梓澤 翔吾さん。愛媛県宇和島市で農業に従事。
千葉大学工学部共生応用化学科卒業。キャリア、教育に対する興味から、採用コンサルティング会社・パフに就職し、採用支援業務を経験。進学塾に転職し、大学受験の進路指導を担当。
進路指導で農学を紹介しているうちに農業に魅力を感じるようになり、ついには自分自身が農家になることを決める。退職後、日本各地を見て回り、愛媛県宇和島市の柑橘農業に出会う。
現在は、宇和島市の就農支援制度を利用し、独立経営に向けて準備中。農家に至るまでの半生を綴ったブログ記事はこちら( http://mikanfarmer.com/category/to-be-a-farmer/ )

楽しくなければ、心は動かない。

梓澤さんはなぜ工学部に進学されることを決めたのでしょうか?

「理系」の勉強をしていた私にとって受験しやすい学部だったからというだけで、実は工学には全く興味がなかったんです。高校3年生で進路を本格的に考える段階になって、教育学などのいわゆる「文系」の学問に興味がある事が分かりました。気付くのが遅過ぎる(笑)。

 

大学入学後は応用化学(化学の力によってモノを作り出す学問分野)を専攻しました。1~3年生の座学の授業では無機化学や物理化学などの基礎的な化学に加え、工業化学や環境化学などの実学的な化学も勉強しました。また、4年生の時は研究室に所属し、毎日研究していました。

 

仕方なしに工学部を選んでしまったので、入学当初から「入る学部を間違えた」と感じていました。残念ながらその気持ちは卒業まで変わりませんでした。

 

そういう気持ちを抱えながら大学の授業を受けていると、だんだんと提供される教育の質に疑問を抱き始めて。大学の教育ってこのままでいいものなのかと、一人悶々と考えていたら、ついには学問としての高等教育に強い関心を持つに至りました。そのせいもあって、専攻とした応用化学にあまり目が行かなくなったのかもしれません。

 

※単位取得に必要な授業や実験はもちろん出ていた梓澤さん。写真は、熱分解の実験。

「入る学部を間違えた」と思うと、大学生活は辛いものとなってしまいそうですが、梓澤さんはどのように乗り越えたのでしょうか?

入学当初は辛かったですね。授業もつまらなくて、まだ仲良くない友達と同じ授業をとらなきゃいけないみたいな同調圧力も苦手でした。あまりのストレスに腹痛が治らない時期があって。そういう事が続いたからこそ、だから、1年生の後期に「自分のとりたい授業だけとろう!」と決めました。

 

自分一人で勉強できてしまうものを履修するのは時間がもったいないので、「取捨選択」をモットーに、「教科書をそのまま読み上げるような授業はとらない」と心に決めていました。その代わり、英語や経営学、教育学など、興味の持てる専攻以外の授業を数多く履修するようになりました。

大学生活できちんと勉強していたものは?

英語ですね!あいている時間を見つけて、図書館で英語の本を開いて読んでいましたね。大学だけではなく、英会話カフェや留学会社の用意していた英会話に行ったりしていました。

自信とは、「自分は自分、ひとはひと」と理解するということ。

「英語」に興味を持ち始めたきっかけは何でしょうか?

高校二年生の夏、バスケ部の友人とバスケの世界大会を観に行ったんです。そこで偶然隣の席になったリトアニアから来た人達と日本で人気のスポーツの事やお互いの国特有のスポーツの事など、他愛もない話で盛り上がったんですね。

 

その時に、今よりもっと英語を話すことが出来たら、より楽しい時間を過ごす事が出来たのに、という想いがうまれたんですよね。「英語を勉強しよう、英会話が出来るようになろう!」と決心したのはその頃ですね。だから大学3年生が終わったタイミングで、私は海外生活を通して英会話を身に付ける為に休学をする事にしました。

「休学」に踏み切ろうと思ったきっかけは?

高校3年生の時には「大学時代で休学しよう」と決めていました。休学には全く抵抗がなかったため、”覚悟”したということはありませんでした。「大学3年生」というタイミングにしたのは、3年生までで座学が終了し、4年生から研究室での研究に切り替わるので、キリが良かったからですね。

 

休学すると就職に響くのではないかと考える人もいるかもしれませんが、私の場合は海外生活を通して自分に自信がついていたのもあって、就職で不利になったと感じたことはありませんでした。それに、”就職に不利になりそうだから”という理由だけで休学を諦めてしまうような学生は、企業にとって魅力的には映らないのではないかと私は思います。

海外生活の中で印象に残っている事を教えてください。

人それぞれ価値観が違って当然だという事、自分の気持ちは伝えないと相手には分からない、という事ですね。オーストラリアでルームシェアをした時、ルームメイトに構わず夜な夜なパーティーする人がいました。私が「音量を下げて」と注意しても変わらずガンガン音楽を流していて(笑)。翌日改めて文句を言ったら「もう一回言ってくれないと分からないよ!」と言われてしまったんです。

 

物事の捉え方は人それぞれ全く異なるものだからこそ、自分の思ったことは臆せず何度でも伝える努力が必要なのだなという事を身に染みて学びました。

 

※オーストラリアだけでなく、エジプトやバリ、フィジーなど海外に足を運んだ学生時代(写真はフィジーでの梓澤さん)

過去を塗り替えるのではなく、今の自分がやりたいことを。

梓澤さんはどのようにして現在のキャリアである「みかん農家」を選んだのでしょうか?

みかん農家になる前は、採用支援や学習塾での指導など、人の進路に関わる仕事をしていました。このような仕事についたのは、進路について深く考えないあまり失敗したと感じた大学の学部選びがきっかけです。

 

しかしある時、自分が今の仕事をしているのは、「自分の過去の失敗を塗り替える為だったかもしれない」とふと感じたんです。

 

自分のこれからを真っ新な気持ちで考えたときに、過去を書き換えるのではなく、自分がやりたいと思っている事をしようと心に決めました。そこで頭に浮かんできたのが、「自然の中で仕事ができること」や「自由な生活」だったんです。それを実現できそうだと感じたのが農家の仕事でした。

 

今は見習い期間ですが、将来、ゆくゆくは自分の畑を持ち、その畑の作物で自分と家族が満足できるような生活を送りたいです。

最後に梓澤さんにとって、大学四年間の学びで現在に活かされている事があれば教えて下さい。

興味をあまり持てずじまいだった工学ですが、今の糧となっていることももちろんあります。
ひとつは、反応工学の研究を通じて、抽象的な形容詞でなく、数字で物事を判断することを学べたこと。私の研究はAという物質をBに変化させるというものでしたが、変化率が99%か90%かで、結果に雲泥の差があります。どちらも”高い”変化率とも言えますが、1%は許容範囲でも、10%では望ましくない結果になります。

 

このように、研究においては、高い・低いの主観性でなく、具体的にどのくらいの数字かでその都度考察し、その数字がどういう意味を持つか考える客観性が重要でした。

 

農業も研究と同様に、客観的な数字で判断することが大事だと思っています。たとえば、畑の刈り入れについて農家の人と話す時。よく、「あそこは良い畑だ」とおっしゃるんです。

 

しかし、具体的に面積が何アールか、傾斜は何度くらいか、みかんの糖度はどのくらいを見込めるか、といったことを考えてみないと、自分の求める畑かどうかは判断できません。”良い畑”が万人にとって良い畑ではないかもしれませんから。

 

もう一つは、学術書を用いて理論を学んだこと。現在、柑橘類の生態を知るために学術書を参考にしています。理論が説明されているのは学術書だけですからね。

 

地元の農家の人は、素人に柑橘栽培を教えた経験がなく、こちらもどう聞いたら栽培方法について理解を深められるかわからないことがあるため、会話によって知識を共有することが難しいんです。

 

学術書で理論を知ることで、地元の農家の人が言っていることを理解できるようになり、自分自身で栽培について理解咀嚼することが可能になります。ですから、興味を抱けなくとも工学部で学んだ4年間は無駄ではなかったと思っています。

阿久根 美咲

編集長見習い
阿久根 美咲

社会人一年生。初めての営業や地方出張生活の傍ら、ライターをしている。ミュージカルが何より大好き!

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