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ワクスタ

ワクスタとは

デザイナーの仕事は、デザインだけじゃない。クライアントのモヤモヤを形にし続けてきたはなし

福田聡さん(スア・フォルマ株式会社の代表取締役)
千葉市立稲毛高校から、2浪して多摩美術大学絵画科油画専攻へ。卒業後はデザイン会社の創業メンバーとして働き始め、現在は独立しスア・フォルマ株式会社の代表取締役としてご活躍中。大学卒業後デザイナーとして活動されている、スア・フォルマ(株)の福田さんにインタビューをしてきました。

多摩美術大学絵画科を目指したきっかけはなんですか?

高校1年生のときは、東京外国語大学、慶応義塾大学などの語学でいうトップレベルの大学を進路希望調査票に書いていました。が、それから全く勉強しなくなってしまったこともあり、現実的に志望校を選ぼうとして、2年のときには大東文化大学、桜美林大学あたりを書いていました。

転機は、2年から3年に移行するときです。
もともと語学系学部志望だったのが、美術部に美大を目指している人たちを見つけて。
美術系の大学もいいなあと思い始めたのがきっかけですね。

芸術分野の中でも特に、絵画に一番興味があったんですか?

いえ、そうでもないです。
音楽も好きでしたね。
中学2年くらいから、多重録音のバンドでオリジナルソングを作っていました。もともとはYMOのコピーバンドから始めていましたが、音楽の知識も演奏技能もなかったので、YMOのハイレベルな演奏はなかなか難しくて。それなら、コピーではなく、オリジナルでやってみようと高校時代まで続けていました。

逆に、デッサンなどの絵画の表現をしっかりと勉強したことは一度もありませんでした。

船橋美術学院(東京藝術大学出身の講師の方々のもとで東京藝術大学への現役合格を目指す、というコンセプトの予備校)に美術部の同級生たちが通っていたのを見て、自分も同じところに通うようになりました。
同期の中から、現役で東京藝術大学に合格した人もいました。他の2人は、一浪して多摩美術大学に合格していましたかね。

自分は2浪して、ようやく多摩美術大学に合格しました。
現役と一浪のときは東京藝術大学も併願していたくらいデッサンには自信があったのですが、一次試験でも引っ掛かりませんでした。

なぜ、音楽の道ではなく絵画の道を選んだんですか?

音楽は、長年の修練を経て習得するものかな、というイメージがあったからです。
その一方で絵画は、そこにペンと紙があれば始めることができる。表現の世界に本格的に踏み込むのなら、絵画がいいのかなと思ったんです。

子どもの頃は石ノ森章太郎さんの『漫画家入門』という本を読んで絵を描いていたこともありましたし、音楽ではなく絵に進む、というのはネガティブなイメージではなく、音楽と同じくらい興味のあることだったんです。
きっかけは美術部の同期たちでしたが、そもそも好きだった、という土台が背中を押したんでしょうね。

絵画専攻の授業を教えてください。

2年生までに座学を終わらせて、3年生以降は実技しかやらなくなる、というのが特徴ですかね。たまに補修で、ひとつ下の学年の授業を受けている学生もいましたけど(笑)。
実は、当時上級生として授業に交じっていた人と、今ちょくちょく仕事をさせてもらってます。不思議な縁ですよね。

あと、印象に残っているのはゼミ合宿ですかね。
たしか川沿いの合宿施設で食事をした後だと思うんですが、その時同じ班だった同級生が、「立川で細々とデザインの仕事を始めたんだ。手伝う?」という話を聞いたんです。
将来どんな仕事に就くか全く考えることができていない状況のなかで、卒業後に進む道の手がかりを見つけたかったので、「じゃあ、手伝うよ」と、3年生の途中から、その人がやっている仕事、レイアウター※の手伝いをするようになりました。

※紙の上にレイアウトを決めて、写真植字する仕事

 

就職活動は、どのように進んだんですか?

在学中、デザイナーになりたい!なんて思ってもいませんでした。本当に、あくまでも手伝いという感覚。
あのゼミ合宿が無かったら、全く足を踏み入れることもなかった業界です。
多摩美術大学のデザイン科がデザイナーの世界なら、絵画専攻は自己表出の世界。そもそも畑が違ったんですよね。

それに、いざ就職というとき、驚きました。絵画専攻では当時、ゲーム会社しか推薦がとれなかったんです。
就職課に行くと、SEGAかコーエー、コナミの求人だけがある状態。入れなかったらどうするの!? って思ってましたね。

予備校時代の先輩(同期だけど現役で多摩美に進学した友人)がコーエーに受かっている話は聞いていたので、その人を頼りにコーエーを受けました。それがちょうど4年生のとき。そのまま内定を貰えました。

当時は、ドラクエⅣの発売直後で、内定者たちの会話はその話題でもちきりでした。
正直自分は、「ここにしか就職できない」状況で、特にゲームも好きではない。でも周りはすごく熱をもって話している……。他の話題を振っても、野球の話くらいしか出てこない。けれど自分は野球にも、興味がない……。

そんないたたまれない状況の時、お手伝いしていたデザイン事務所から電話をもらいました。
「新しい人が辞めちゃって困っている。やっぱり引き続き手伝ってもらえないかな?」と。
この電話をきっかけに再びそこで仕事をすることになり、コーエーには進まないことを決めました。今でいう、内定辞退ですね。

有言実行し、自分で事務所を立ち上げた友人と、そのパートナー1人の、2名しかいないデザイン事務所の手伝いをすることになった新卒1年目。
彼らは大学卒業直後に株式会社として立ち上げを行ったので、自動的に創業メンバーのような形での参加になりました。

いざデザイナーになったと言われても、これまでは手伝いしかしていないし、社会人として必要な社会性も身についていないわけで。
立川近辺の制作会社や代理店などに行って営業をするものの、創業したばかりで話もなかなか聞いてもらえない。「営業は苦手だからやらない」なんて、人数が少なすぎて言えないし、できない。
どこに行っても、「社長に言われてきたの?」と言われるくらい、まごまごしていました(笑)。

 

そういう経緯でデザイナーになられたんですね!学校でデザインの勉強をしていなかったことを不利だなと思ったことはありますか?

基本的には、実務で必要になったら勉強をする形だったので、あまり不利だなと思ったことはありません。
必要に迫られて勉強する感じだったので、最初は「電算写植」とか、「組版」とかの勉強を必死にして。デザインの勉強をするにまで至らなかったかな。

在学中は絵画の勉強もそれほど真面目にしていなかったので、そのあたりの経験が役立つこともありませんでしたね。

ちゃんとデザインってものをしっかり考えるようになれたのは、新卒から今までの時間の中の半ばくらいかな。

自分の部下にするなら、デザインをしっかり勉強してきた人がいいと思いますか?

予備校で1~2年勉強してやり方を覚えただけ、って人は、別に要らないかなあと思います。
それだけだと、趣味の範囲。業務の中でいいものを生み出すまでには至りません。

「デザインの勉強をしている人」よりも欲しいのは、「身の回りの物事を観察して、いつも考えている人」です。
生きていく中で、観察を注力してやってきた人は、世の中に何が必要である、どうすればそれが実現するという発想に至るスピードが速いんですよね。

美大でしっかりとデザインについて勉強してきた人に関しては、大手の広告会社に入られる方が多いので、一緒に仕事したことはありません。
なので、ちょっとわからないかな。
そういう人たちの仕事と自分の仕事の領域は全く違う。でも、身の回りのことをよく見ることの重要性はあまり変わらないと思います。
佐藤可士和がやっているような仕事は自分はしていないので……(笑)。
美大でデザイン専攻に進む、華やかな世界とはまたちょっと違うデザイン領域ですからね。

 

観察眼を育てるためには、何が必要ですか?

デッサンをすることは大切だと思います。

デッサンをすることで、モノのつくりが見えてくる。人でもそう。外からの形、中からの形、空間を意識する。
物象、現象を観察する目は、人間社会の構造を観察するための土台にもなります。何かしら本質を探そうとする修練を、デッサンという方法でやってみるのはいいんじゃないでしょうか。

自分の仕事は、ただ見た目を決めるだけじゃありません。
お客さんごとに求めるものが違うなかで、どんなものを作ればいいか、それによってどんな効果が生まれるか。
どういう効果を期待しているから、どういうものが必要なのか。企画からコピーライティングにも携わっている状態なんですね。

そういう時に必要なのは、デザインの知識ではなく「世を見つめる力」「オーダーの根本にあるねらいを探る力」だったりします。
観察眼がある人は、その時に挙げる企画も、ただ相手のオーダー通りにつくるのではなく、「それならこういう方がいいんじゃないでしょうか」と柔軟な提案ができるんです。

例えば、企画書づくりの仕事であれば、「何を伝えなくてはいけないのか」「企画書の流れはどうか」「言葉選びは何が適切か」を考える。
そうなると全然デザインの仕事ではない印象かもしれませんが、私の考えるデザイナーとは、「クライアントのモヤモヤを形にしてあげる人」なので。
提案する形が、グラフィックや言葉、企画提案と姿を変えているだけなんです。

自分の気質からできるものを提案しているので、言い換えれば自分にしかできない仕事。だから、部下に教えるのも難しい(笑)。
なので後輩たちには教えてもらう、ではなく、世を見て、人を見て、デザイナーとして育っていってほしいなと思っています。

皐月 彩

ライター
皐月 彩

日本大学芸術学部映画学科 2017年卒。 エジプト出身。円谷プロダクション製作の『ウルトラマンジード』の仕上げ進行スタッフを経て、現在はフリーランスの脚本家として映画・アニメ・ドラマの制作にかかわる。

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